鶴久政治、チェッカーズ人気絶頂期の給料「5万円だった」
超人気バンド「チェッカーズ」のメンバーだった鶴久政治(52)が20日、カンテレで放送されたトーク番組「快傑えみちゃんねる」(関西ローカル)に出演。
デビュー直後の人気絶頂期にもかかわらず、当時の給料が5万円だったことを告白した。
チェッカーズは1984年にデビューし、2曲目の「涙のリクエスト」が大ヒット。
「デビュー曲(ギザギザハートの子守唄)も売れて、3曲目(哀しくてジェラシー)も売れたんです。3曲同時にベストテンに入ったんですよ」と当時の爆発的人気を振り返った上で、「そのときの給料が1人5万円だった。3年くらいは続いた」と話し、司会の上沼恵美子を「そんなもんですか!」と驚かせた。
さらに、超売れっ子だった当時からは想像できないエピソードも。
「7人がざこ寝みたいな状況」という寮には、シャワーが1個のみ。
「じゃんけんで勝った人からシャワーに入れる。次の日が朝早くて3人くらい浴びれずにテレビ局に入り、トイレの青い液体で頭を洗って、強引にチェッカーズカットにした」と明かすと、スタジオは騒然。
いつもは毒舌の上沼も「苦労してはんねんね」と感心していた。