包丁持ち出し「発達障害の影響」…殺害被告判決
「犯行の発端となった行為には、発達障害の影響があった」――。昨年5月、岐阜県瑞浪市の会社員大脇正人さん(当時32歳)を殺害するなどしたとして殺人罪などに問われ、懲役25年を求刑された野村航史被告(27)に、岐阜地裁が10日言い渡したのは、懲役15年の判決だった。発達障害や成育環境が事件に与えた影響の程度が争点となった裁判で、障害が一定程度影響したと判断された。
「力強い手や笑顔を思い出すと涙があふれます。もう一度会いたい」。先月27日の公判で、大脇さんの妻は悲痛な思いを語った。法廷内にすすり泣く声が広がる中、野村被告は表情を変えず話を聞いていた。
被告人質問で野村被告は、小学生の時からいじめに遭っていたことを明かした。中学1年で不登校になって自室に引きこもった。両親は約9年前に離婚し、野村被告は父親と2人で暮らしていたが、7年ほど前、父親は仕事の都合で愛知県に引っ越した。野村被告は当時を「お金がないし友達もいない。惨めだった。何度も自殺を試みた」と振り返った。
野村被告は事件前から、発達障害の一つで、社会性の欠如や聴覚過敏などの症状がある「アスペルガー症候群」と診断されていた。大脇さんの子供の声は「金切り声」に聞こえ、2015年頃からは大脇さんの妻や警察に不満を漏らすようになったという。大脇さん夫婦は、子供たちに家の前でのキャッチボールを控えさせたり、ピアノの音を抑えさせたりと、懸命に対処していた。
事件時の状況について、大脇さんの妻は「誰も大声など出さず、配慮しながら楽しんでいた」と話したが、野村被告は法廷で「耐えきれないほど苦しかった」と証言。「『いつもうるさい』と言うだけのつもりだった。必死さが伝われば、声が止まると思った」と主張した。
判決は、刺した行為自体への障害の影響を認めなかったが、包丁を持ちだした行為については「事件の発端となる『包丁で脅して声を止めよう』との意思決定には障害が大きく影響しており、非難の程度を減ずる必要がある」とした。
菅原暁裁判長は判決を言い渡した後、野村被告に「15年たっても、その後も、遺族の苦しみは続きます。結果がいかに重大だったかを、社会復帰しても深く考え続けてほしい」と語りかけた。
大脇さんの遺族は弁護士を通じ、「被告は、なぜ事件を起こしたのか真摯に向き合ったとは思えない。判決は到底納得できるものでありません」とコメントした。
「力強い手や笑顔を思い出すと涙があふれます。もう一度会いたい」。先月27日の公判で、大脇さんの妻は悲痛な思いを語った。法廷内にすすり泣く声が広がる中、野村被告は表情を変えず話を聞いていた。
被告人質問で野村被告は、小学生の時からいじめに遭っていたことを明かした。中学1年で不登校になって自室に引きこもった。両親は約9年前に離婚し、野村被告は父親と2人で暮らしていたが、7年ほど前、父親は仕事の都合で愛知県に引っ越した。野村被告は当時を「お金がないし友達もいない。惨めだった。何度も自殺を試みた」と振り返った。
野村被告は事件前から、発達障害の一つで、社会性の欠如や聴覚過敏などの症状がある「アスペルガー症候群」と診断されていた。大脇さんの子供の声は「金切り声」に聞こえ、2015年頃からは大脇さんの妻や警察に不満を漏らすようになったという。大脇さん夫婦は、子供たちに家の前でのキャッチボールを控えさせたり、ピアノの音を抑えさせたりと、懸命に対処していた。
事件時の状況について、大脇さんの妻は「誰も大声など出さず、配慮しながら楽しんでいた」と話したが、野村被告は法廷で「耐えきれないほど苦しかった」と証言。「『いつもうるさい』と言うだけのつもりだった。必死さが伝われば、声が止まると思った」と主張した。
判決は、刺した行為自体への障害の影響を認めなかったが、包丁を持ちだした行為については「事件の発端となる『包丁で脅して声を止めよう』との意思決定には障害が大きく影響しており、非難の程度を減ずる必要がある」とした。
菅原暁裁判長は判決を言い渡した後、野村被告に「15年たっても、その後も、遺族の苦しみは続きます。結果がいかに重大だったかを、社会復帰しても深く考え続けてほしい」と語りかけた。
大脇さんの遺族は弁護士を通じ、「被告は、なぜ事件を起こしたのか真摯に向き合ったとは思えない。判決は到底納得できるものでありません」とコメントした。