仙谷由人氏死去 72歳 旧民主党政権で官房長官「陰の首相」
旧民主党政権で官房長官や行政刷新担当相などを歴任した元衆院議員の仙谷由人氏が11日午後10時30分、肺がんのため都内の自宅で死去した。72歳。徳島県出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男勇人(はやと)氏。
関係者によると、最期は最愛の家族にみとられた。9月21日に行われたTBS「時事放談」(同23日放送)の収録では元気そうな姿を見せていた。
敏腕弁護士として注目され、90年の衆院選で旧社会党から初当選。93年に落選したが、96年は旧民主党から立候補し返り咲いた。09年に民主党の鳩山由紀夫内閣の行政刷新担当相に就任。10年6月発足の菅直人内閣では官房長官を務めた。「陰の首相」と呼ばれ、外交、内政の政策調整を一手に担った。旧民主党代表などを務めた自由党の小沢一郎共同代表とは、一貫して距離を取り続け「反小沢」の象徴として存在感を示した。
知人によると、健康だった頃は一日2〜3箱を吸うほどのヘビースモーカー。02年に胃がんで胃の全摘手術を受けた。
挑発的な答弁や失言による批判も絶えなかった。自衛隊を「暴力装置」と発言したほか、中国漁船衝突事件での政府対応の責任を問われ、10年11月に参院で問責決議が可決。中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突する映像を非公開にすることを決めたとされる仙谷氏を批判するように、一色正春元海上保安官が「sengoku38」のハンドルネームでユーチューブに映像を流出させた。
11年1月の内閣改造で交代し党代表代行に。同年3月の東日本大震災を受け、政府内の被災地支援を取り仕切る官房副長官に起用された。12年の衆院選で落選し、14年に国政からの引退を表明。昨年の衆院選後は国民民主党の前原誠司元外相や立憲民主党の枝野幸男代表らがたもとを分かつ姿に「なんで人間同士の付き合いができないのか」と心を痛めていたという。事務所関係者によると、最後は弁護士としての仕事を行っていた。