関西空港が水没 5日もターミナルビルが使えない見通し 台風21号列島縦断7人死亡、約200人重軽傷
台風21号は4日、1993年の台風13号以来25年ぶりに「非常に強い台風」として上陸し、関西地区を中心に猛威を振るった。
少なくとも7人が死亡、約200人が重軽傷を負った。
大阪湾では強風で流されたタンカーが関西空港連絡橋に衝突し、橋の一部が破損。
関西空港は高潮で滑走路が水没し閉鎖される事態となった。
東京都八王子市でも落下物でケガ人が出るなど被害は広範囲にわたった。
関西空港が水没した。運営会社関西エアポートによると、空港は滑走路と駐機場が最大で約50センチ浸水。第1ターミナルビルの地下部分にも水が入り込んだ。
正午に2本の滑走路が閉鎖され、午後3時には空港全体が閉鎖となった。
5日もターミナルビルが使えない状況が続く見通しで、影響は長期に及ぶもようだ。
大阪湾に浮かぶ関西空港は完全に孤立した。
午後1時30分ごろ、空港と陸地を結ぶ唯一の陸路の関西空港連絡橋に、大型タンカー宝運丸(2591トン、全長90メートル)が強風に流され衝突。
船体の一部が橋にめり込み、自動車用道路3車線が支柱からずれ、通行不能となった。
タンカーは航空機用のジェット燃料を関空に運んだ後、エンジンを止めいかりを下ろして停泊していた。乗組員11人にケガはなかった。
連絡橋は2階建て構造。上部に各3車線の自動車用道路、下部にJRと南海電鉄の線路が通る。
衝突時は道路が通行止め、鉄道も運休となっていた。復旧のめどは立っていない。
孤立した関西空港には、旅客ら5000人以上が取り残された。
空港内には2つのターミナルビルや商業施設などがあり、一部施設では停電も発生。
運営会社は第1ターミナルビル2階の国内線出発エリアを開放し、備蓄食料を配布。旅客らはベンチやシートを敷いて床に寝転ぶなどして体を休めた。
ターミナル内のコンビニは長蛇の列ができ、おにぎりやサンドイッチはすぐに売り切れた。
関西空港は1994年9月4日に開港。この日、空港に着陸するはずだった航空機は他の空港に目的地を変更。
24度目の開港記念日は、水没、孤立状態で迎えることになった。