東野幸治が妻のホスト遊びを黙認 なぜ頭が上がらないのか
東野と妻は1991年に結婚。2人の娘がいるが、01年9月にいったん離婚した。しかし、04年から籍を抜いたまま再び同居を始め、12年に元サヤに戻る形で再婚した。
67年、宝塚市生まれ。漫才ブームのころに、さんまや紳助のファンだった。高校3年の時に、友達から「豪華賞品がもらえる」と誘われて、吉本興業の新人オーディションに参加。ダウンタウンが司会の公開録音のラジオ番組で、賞品はボールペンだった。その後ダウンタウンから声がかかり、心斎橋筋2丁目劇場を中心に出演し、「4時ですよ〜だ」などのバラエティー番組や「よしもと新喜劇」で、ある程度の知名度と人気を得た。
今田耕司との「Wコージ」が正式コンビと思われがちだが、実はある番組でオフザケでやったに過ぎない。実は今田、東野ともにピン芸人だ。
ラジオ「ヤングタウン」などを経て東京進出。トーク力には定評があり、今やバラエティー番組には欠かせない存在になっている。
夫婦の馴れ初めは、女子大生だった妻が東野の熱烈ファンだったこと。追っかけから交際に発展した珍しいカップルだった。24歳で結婚したころの月収は7万〜8万円。とくに危機感をあおられるでもなく過ごした。大きな転機は、26〜27歳のころ、娘がぜんそくで入院してから。入院費を払うために内職をする妻の姿を見て、一念発起した。
「子どもにゴハン食べさせなアカンし、ちゃんとお金稼がなアカンと思えるようになった。僕、ホンマに結婚しててよかったですよ。もし自分ひとりやったら、どうでもよかった」と、成功は家族のおかげと率直に語っている。
東京進出の最初のレギュラー番組は「協調性がないから」と参加を見合わされていた「ごっつええ感じ」。その中の「放課後電磁波クラブ」で居場所を見いだし、「行列のできる法律相談所」の司会では、高い評価をもらった。ブログを毎日更新する生真面目さもあり、ニコニコ動画にも積極的。また「アメトーーク」で自らがプレゼンした「どうした? 品川」の回での、品川庄司の品川祐への「いじり」は大きな反響を呼んだ。
若手芸人いじりの半面、妻にはどうしても頭があがらない。
「口癖は『自分が売れたのは妻のおかげ』ですからね。芸人の中でもトップクラスの収入となった今では、奥さんの豪遊は黙認状態です」(芸能ライター)
S(いじり)とM(いじられ)がバランスよく同居しているのが人気の秘訣か。